東京⇌平壌往復書簡(18)

これからも出会いを大切に…

平壌、清津、咸興、元山、沙里院、平安南道など、共和国の各地で暮らす東京朝鮮中高級学校一八期(一九六五~六八年)同級生との手紙のやり取りが始まって六年が過ぎた。「いつか平壌でも同窓会を」との思いを込めてである。

今回は、前号に引き続き、卒業生を引率して平壌を訪問した慎吉雄校長を通じて届いた、手紙などを紹介する。[ ]内は整理者による。(金日宇)

현명실(ヒョン・ミョンシル)☇ 18期のみんなに

祖国を訪問したシン・ギルントンムを通じて、総連活動と一八期のみんなの話たくさん聞きました。中でもリョム・スソ、パク・チュンウ、クォン・ヨンジャ、オ・ベックン、イン・ヨンワン、キム・ソンテトンムたちが私たちのことを配慮してくれたということですね。ありがとう。これからはそんな心配せず、みんながいつも元気で暮らしているという便りだけを送ってください。

みんな! 元気でいれば、いつか会えることでしょう。その日まで、同窓会にも参加して…。みんなの健康とご多幸を願いながらペンを置きます。アンニョンヒ。

ヒョン・ミョンシル記す。2015・7・22

조성현(チョ・ソンヒョン)☇シン・ギルン校長

二日後にはお別れですね。二〇一一年から今日まで毎年楽しいひと時を送ることができました。感謝しきれません。

ここにいる一八期生、二〇余人は、朝高時代、あるいは社会に出た後、家族と一緒に、単身で帰国し、平壌、清津、咸興などで、数十年暮らしてきましたが、シン校長をはじめ日本にいるみんながここを訪れるたびに、私たちと会ってくれるので、私たちも行き来するようになりました。六〇歳を前後してのこの何年間は、ここで暮らす同級生にも大きな変化がありました。先輩たちも後輩たちもそんな私たちをうらやましく思っているようです。

少し疲れているようですね、気になります。ここでも忙しいのか、年だといえばそれまでですが…くれぐれも健康に気をつけ、引き続き愛国事業に励んでください。繰り返し感謝を、そしていつまでお元気で。

チョ・ソンヒョン 七月二一日

조성현(チョ・ソンヒョン)☇クォン・ミヨンジャ

シン・ギルン校長を通じて、昨年の同窓会の話を聞きました。クォントンムも頑張られたようですね。

前にも書きましたがね私の人生は、そこで二三年、祖国で四二年、倍近い歳月をここで送りました。しかし、朝高卒業後、青年同盟で活動した日々は青春の大切な一ページを飾っています。江戸川支部の時期は、大変な時でしたが、思い出いっぱいの日々でした。

何年か前、その時期一緒に活動したトンムたちが集まる機会があり、私を思い出し、ここにプレゼントまで送ってくれました。妻も息子も感激していました。パク・トイン、キム・ゴンチャ、カン・リョンテ、イルナムトンムと会うことがありますか? よろしく伝えてください。

六〇の峠を越え、七〇歳を目前にしています。これから会う機会があるのやら、健康に気を付けてください。

昔、江戸川支部で活動された方に会ったら、あいさつをお伝えください。

チョ・ソンヒョン 二〇一五年七月二〇日

조광숙(チョ・グァンスク)☇シン・ギルン

娘の家に眼鏡を忘れてきて、それでもトンムへの感謝を込めて書きます。

一八期の皆さんに感謝を、みなさんがいるので、これからの老年期も明るく楽しく過ごせそうです。みなさんとの出会いは、わたくしたちに活力になり、青春がよみがえるようです。友から温かく見守られることは何にもましての薬のようです。シントンムありがとう。ここでこのような場を設けられるようにしてくれたリョム・スソ、アン・ヨンワン、パク・チュンウ、キム・ソンテ、クォン・ミョンジャ、オ・ベックントンムたちに心からの感謝を、そして日本のトンムたちについて伝えてくれているキム・イルウトンムにも感謝です。

今度、キム・ソンテ、パク・チュンウトンムの息子とも会いました。あらゆる困難と誘惑を乗り越え総連活動家として、そのたくましい姿に接し、感無量です。頭が下がります。一世たちが総連を結成したときのように、情勢が厳しい今日この頃、息子たちを第一線に送り出すトンムたちに敬意を表します。

一八期のみんなに、二〇一九年七〇歳になるまで老いることなく健康でいましょうとの私のあいさつを伝えてください。

アンニョンヒ。

チョ・グァンスク

손일호(ソン・イルホ)☇シン・ギルン

昨晩、食事会の後、夜道を一人歩きながらいろんなことが思い浮かびました。シントンムとの一年ぶりの再会、キム・ソンテ、パク・チュンウトンムのたのもしい息子との思いもよらぬ出会い、席を移動しながら同級生に精力的に声をかけるシントンムの姿…。

シントンムは私たちと会うたびに、帰国した同級生が祖国の繁栄のために立派に貢献していると言ってくれますが、昔も今も総連の活動家たちは困難な環境の中でも、志を曲げることなく愛国事業に献身しているということを誰もが知っています。

私は今年二月から年金保障生活に入りました。一九七七年に外国語大学を卒業し、これまで三八年間、同じ職場で英語の翻訳員として従事してきました。引退を前に一年間、今まで蓄積してきた英単語と技術用語、文体などを体系的に整理し、分類別に細分化し、「貿易述語用語集」完成させ、後輩たちのための参考図書として残すことができました。

引退を決意した理由の一つは健康問題でしたが、最も大きな理由は、世代交代です。毎年、外国語大学、金日成総合大学の外国文学部、金○○師範大学の外国文学部などから排出される、数多くの語学専門家に活動の場を与えるべきだと思ったからです。

これからは長年蓄積してきた英語の知識を子どもたちに伝えながら余生を送ろうと思います。

これからもソンテトンムとシン・ギルントンムの粘り強い努力と多くの同級生の誠意でもたらされた出会いを大切にしていきたいと思います。

健康に気を付けて、いつまでも元気でいてください。

二〇一五年七月二三日 ソン・イルホ

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東京・김일우(キム・イルウ)☇一八期のみんなに

元気ですよね。

東京中高の運動会(一〇月四日)で、박재복(パク・チェボク)、김달룡(キム・ダルヨン)、それから体育の日焼けした구영생(ク・ヨンセン)先生に会いました。孫の応援をしたり、同僚と祝杯をあげたり、教え子と話したり、笑顔はたえません。パク先生は高校三年間の担任、物理を教わりました。キム先生は代数、ク先生といえば、「祖国統一」と書いたゼッケンをつけて走って出勤していました。そんな学生生活が蘇りました。久しぶりにお会いしたク先生は、私を見るなり「髪が真っ白になって…」と。先生たちもすっかり白髪、「禿げ頭化」していまし た。長い歳月が流れたということです。

この日、東京中高に着いたのは、一時を過ぎていました。十条に向うバスの中で、集団体操のハイライトというべき、デーキッパルがなびく様子をスマホで見ました。最近では、デーキッパル(大きな旗)と言わず、テーキポク(大きな旗幅)というようです。高一のとき駒沢競技場での大集団体操が思い出されます。棍棒体操に組み体操、フィーナーレを飾ったのがテ―キッパルでした。「チョソな~チョソな~…マンマンセー」の曲に合わせてしゃがんで、中腰になって、思いっきり手を伸ばし、背伸びするのですが、体が宙に浮かび、必死でテーキッパルをつかんでいた、手にその感触が蘇りました。あの広い駒沢競技場のグランドいっぱいに広がったテーキッパルは、その後、東京中高の運動会で受け継がれ、何年か前、少し小さめになったと、聞いています。

×              ×

実は、慎校長からそこでの話を聞こうと、運動会の前日にも東京中高に行きました。修学旅行の引率から戻り、夏休みに入り、始業式後も様々な学校事業が重なり、それに秋の結婚シーズンです。ゆっくり話を聞く機会を逃していました。

平壌では幾度かに分けてトンムたちと会ったということですね。昨年秋の東京での同窓会の様子を話し、写真を撮って、一人でみんなの話を聞かなくてはならないので大変だったとも…。そこでの出来事をまとめているとのことです。私が編んでいる『朝鮮学校のある風景』で紹介しようと思います。

八月上旬、小山でリョム・スソトンムに会いました。帰国したトンムたちからたくさんの手紙が届いたと喜んでいました。(前号に掲載)

*一休みします。字が乱れ、トンムたちから「判読不明」とのクレームが付きそうなので。

北関東出身のキム・ドナムトンムと、愛知朝高から転校してきたパク・チョンバクトンムも一緒にです。三人が寮生だったので、昼からビールを飲みながら(濃い目の焼酎もですが)の寮生活の「雑談会」になりました。その当時、「寮」といえば、先輩後輩関係が厳しく、外からのイメージはけっしてよくなかったのに、三人の話は、そういうこともあったと言いながら楽しそうでした。七時から九時までは無条件自習時間!! 五時に早々と夕食をすますと、自習時間が終わるころになると腹ペコ、寮の役員室では、先輩らがインスタントラーメンやパンを売っていたが、五円、十円高かった、「あまりではないか」と思いながら、それでも買うほかありません。夏休みになり、貸し切りバスで海水浴に行くことになります。全員参加、バス代と昼食代などは、先輩たちが五円、十円と高く売って集めた、そのお金だったというのです。長野で暮らす「寮長」の名前をあげながら感謝していました。かれらの話は青春、そのものです。うらやましく思いました。(本誌次号に紹介)

九月にはサッカー部だったリ・グァンサントンムが、一〇月には高三から師範科に入ったムン・パルチトンムが、そっちに行きました。リトンムは「公務」だったので、多くのトンムと会えなかったと、残念がっていました。高校卒業以来ですからかれこれ五〇年ぶりに会ったトンムのことを懐かしく話していました。一緒にボールを蹴っていたようです。ムントンムは今頃訪問中です。戻ってくるのが楽しみです。

*ここでまた一休み。読みづらくなっていますので。

チョン・スヨン先生とは、八月以降、三~四回会っています。東京第五での夜会で会い、日暮里の居酒屋でも一杯しました。恩師と一献傾ける、そんな「歳」になったということでしょう。チョン先生は、日本の大学を卒業して新任として赴任し、担任を持ったというので、一八期生には「特別な思い」があるようで、話は尽きません。先生自身が青春時代だったのでしょう。

×              ×

昨日(一〇月八日)、隣の分会が主催する「笑酔会」(笑いながら酔っぱらう会? 酔っぱらって笑う会?)で、チョン・ジョンゲトンムと会いました。私と同じく東京第三の出身です。朝大の理学部を卒業後、母校の東京朝高、神奈川朝高で六〇を越えるまで教壇に立ち、今は一線から退きましたが、この会を主宰しています。

「笑酔会」は、毎月第一木曜日(昨日は特別に第二週)に集まり、世相物上を勝手に論じる場です。数ヶ月前に一〇〇回目を迎えましたから、一〇年以上続いているということです。昨日は、九月に「短期訪問団」で、弟に会いに行った彼の「帰還報告会」でした。訪問時間が限られ、同級生に会えなかったことを悔やんでいました。日本の円を持っていくべきか、米国ドルが使い勝手がいいかとか、そこで最近の流行している楽団の話、墓参りに行ったとも…。居酒屋の二時間の予約時間が足りないほど、話は弾みました。

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今日は金曜日です。文部科学省前では「朝鮮学校への差別反対」、「高校無償化適用せよ」を求める、朝高卒業生、朝鮮大学生と保護者による「金曜行動」の日です。日本の市民団体のメンバーも参加しています。定期アルバイトなので、スマホ(携帯電話)で「우리하교 지키자(ウリハッキョ チキジヤ=朝鮮学校守ろう)」と、文字を送ることしかできません。

大阪の市庁前では「火曜行動」が繰り広げられています。火曜と金曜は、ソウルの日本大使館前でも市民団体の連帯デモが行われています。

日本の経済に好転の兆しはなく、中級部卒業生の中で、経済的理由で高級部への進学を断念し、日本の高校に転出するケースがこの何年間増え続けています。

今回も簡潔に書けませんでした。「判読不明」寸前ですね。

近況、待っています。それではアンニョンヒ。

二〇一五年一〇月九日

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出展:朝鮮学校のある風景

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