東京⇌平壌往復書簡(20)

乱筆でも判読、青春が蘇ります

平壌、清津、咸興、元山、沙里院、平安南道など、共和国の各地で暮らす東京朝鮮中高級学校一八期(一九六五~六八年)同級生との手紙のやり取りが始まって六年が過ぎた。「いつか平壌でも同窓会を」との思いを込めてである。

昨年末、迎春公演に出演する児童・生徒たちを引率して、平壌を訪問し年初に戻ってきた慎吉雄校長がたくさんの年賀状と手紙を持ち帰ってきた。

カラフルな年賀状には、新年のお祝いだけではなく、「毎回、そこの同級生の様子を知られてくれてありがとう」(アン・ミョンスク) 、「返事を送れず…これからも楽しい消息を」(ヒョン・ミョンシル)、「赤羽台からの手紙が届くたび、小学校のころから帰国するまで暮らしていた懐かしい地名に、あの頃を懐かしく思い出します」(アン・ジョンスン)、「寮生活について書かれましたね。チンダルレ寮での青春時代が蘇りました」(アン・ジョンスン)など、思い思いの言葉がそえられていた。「判読するのに困難ですが、今年もたくさん書いて送って…」(キム・ヨングァンら多数)という言葉もだ。

今回は、慎校長に託されたソン・イルホトンムとチョ・グァンスクトンムからの二通の手紙を紹介する。[ ]内は整理者による。(金日宇)

손일호(ソン・イルホ) ☇신길웅(シン・ギルン)

別れて何日もなりませんが、元気ですか? 一月一二日、平壌を経つとき、ゆっくり別れの挨拶もかわせず、すまないことをしました。早朝、家を出たのですが、バスも自動車もなく、ひたすら歩いたのですが、平壌ホテルに着いたのが出発の直前、危機一髪、ようやく挨拶だけは交わすことができました。コ・チョルサムとリャン・セハクトンムたちも六時三〇分に着いたのですが、言葉も交わせなかったと、悔やんでいました。

「東京朝高」のネームが刻まれたボールペン、ありがたくいただきました。使うたびに、トンムや日本にいる同級生のことを思い出すでしょう。

トンムを送った翌日、チョ・ソンヒョン、キム・ヨングァン、コ・チョルサム、リ・グァンイル、パン・スミの六人で、高麗ホテルの向かい側の食堂でもう一度新年会を、鍋をつっつきました。平壌にいるトンムたちとはときどき一杯できますが、地方で暮らすソンヒョンやヨングァンとは、そうはいきません。トンムを送った後、このまま別れるのは惜しいと、食事をすることになったのです。昼間から酒も入り、朝高時代の楽しい話が次から次へ…話は尽きませんでした。ヨングァンは、よほど楽しかったのか、スンチョの自宅に着くなり、平壌に行く機会があったら、また飲みながら思い出にふけようと電話をかけてきました。

今日は、旧暦で大寒。もっとも寒い一日だといいます。膨大な二酸化炭素の放出による温暖化で、世界的な気候変動、異常気候が起こっているといいますが、ウリナラでもその影響が…。この何年間、寒さ知らずで過ごしてきましたが、今年は、零下二〇度まで気温が下がり、加えて強風に煽られ、少し外に出ただけで凍結しそうです。

昨日は、コ・チョルサムとリ・グァンイルの三人で、蒼光院でふろに入り、食堂街ですき焼きを食べながら、また楽しいひと時を過ごしました。

出版社に通っていたころは、山のように積まれた翻訳資料を前に、休むこともできませんでしたが、退職して年労補償生活に入ると、トンムと会う機会も増え、精神的にも肉体的にも若返り、言葉通り六〇青春、九〇還暦を迎えたようです。

次世代教育に献身しているシン・トンムにこんなのんきな生活を伝えるのは、多少はばかれますね。後ろめたさも感じています。

何日か前、コ・ミョンファ先生が急に訪ねてきました。寒さの中、高齢の身でありながら一四階(先生の家は一四階です)から降りてから、七階のうちまで上がってきたので、少し驚きました。先生がシン・ギルントンムに会いに行ったとき、私が家まで送って行ったのですが、その礼に来たというのです。近所なので当然のことをしたまでなのに、かえって恐縮してしまいました。話始めると、歳は取られても、気持ちは少女のようでした。日本での総連活動、祖国の統一のために何かしなければならないということ、私たちの同窓生の集まりのこと…あきれるほど純真で、楽天的でした。

今回のシントンムの訪問期間で一番印象深かったことは、コ・チョルサムとリ・グァンイルトンム、私と四人で、平壌ホテルの隣の大衆食堂で食事をしたことです。トンムは、特別食でもないとうもろこし麺をお代わりしましたね。おいしそうに食べるトンムの顔を見ながら三人がどんなにうれしかったことかわかりますか。

長くなりました。今年もまた七月に卒業生を引率してくることができればいいですね。いつでもここにいる私たちのために誠心誠意尽くしてくれる、同窓会のパク・チュンウ会長、リョム・スソ、アン・ヨンワン、オ・ベックン、キム・ソンテトンムたちに感謝の気持ちを伝えてください。そこで、同胞社会のために頑張っているトンムたちの姿は、私たちみんなに大きな力になっています。シントンムの健康と、教育事業での成果を祈っています。

二〇一六、一、二〇
ソン・イルホ記す。

 

조광숙(チョ・グァンスク) ☇김일우 (キム・イルウ)

イルウトンム! トンムが送ってくれる手紙、毎回楽しく読んでいます。

今度の手紙に、夜おなかをすかせた寮生のトンムたちに先輩がラーメンやパンを五~一〇円高く売ったと。「あまりではないか」と腹立たしくなったのですが、夏休み海水浴のバス代と食事代にあてたというので一安心、その光景が目に浮かぶようでした。(昨年一〇月九日付の手紙=本誌34号190頁に掲載)

思わず、寮の食堂でカレーライスを食べたことを思い出しました。なんというか、トンムの手紙は興味津々、手紙に書かれたエピソードの一つ一つが私たちに喜びと、思い出の門を開いてくれます。みんなに送っているのだから、切手代も大変でしょう。でも、これからも楽しみを奪わないでださい。

パク・チェボク先生、キム・ダルヨン先生、ク・ヨンセン先生たちも、元気だというので安心です。中でもク先生は担任でした。キャンプに行って、「チョッタタリョン」を一緒に歌いました。

何日か前、シン・ギルントンムが送ってくれた一八期の写真集を開きました。感慨新たにめくりました。表紙の写真、校門の右手に見える大木から何歩か行くと四角のマンホールがありました。後ずさりしていて落ちてしまったことがあります。太ももまではまり大怪我をしました。一年の時です。集団体操の練習に参加できず、迷惑をかけました。その時の擦り傷の跡は、帰国したのちも時折疼き、そのたびに朝高での日々が思い出されました。

校門の写真を見ていると、毎日、十条の駅からどたばたと走ったことが。ときどき間に合わず、キム・ギョクセントンムやチョ・スイルトンムに呼び止められ…。校門の右手には売店がありましたね。左手はブラスバンドの部室、音楽室がありました。あれから半世紀がたつというのに、その光景は鮮明に思い浮かびます。授業中に騒ぐと、グランドピアノの蓋をばたんと閉めて、みんなをびっくりさせていました。ユン・ギサン先生ではなく、もう一人の音楽の先生です。その校舎は音楽関連のクラブの部室になっていました。民族器楽のトンムたち。ファン・ギョンラクトンムが部長でした。伽耶琴を奏でる音がいつもしていました。合唱部もありました。弦楽部も。北区公会堂で、弦楽部の伴奏で「春の歌」を歌ったとき、トイレットペーパーが飛んできました。舞踊部もそこにありました。猛練習、その姿に魅せられました。

授業が終わると、出身校のトンムたちと一緒に家へ。それでアン・ミソントンムがいた九班(後に七班)のトンムたちとも親しくなりました。

シン・ギルントンムとは、ここで度々会うから親しくなりましたが、日本にいるときは知りませんでした。イルウトンムのことも、名前と顔が合いませんでした。ニョドンム(女子)に人気があったナンドンム(男子)も、五〇年も過ぎれば、誰がだれだかわかりません。

それでも、第七出身のパク・サムソク、パク・クァンミョン、キム・ユチャン、アン・ミソントンムたちは、写真を見る限り、その当時と変わりありません。「不老」の薬でも飲んでいるのでしょうか?

イルウトンムの手紙は、とにかく乱筆、読みづらいです。それでも時間をかけて判読しているので、これからも面白い話を書いてください。青春が蘇ります。

いつまでも健康で。
二〇一六、一、八 チョ・グァンスク

出展:朝鮮学校のある風景

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