東京⇌平壌往復書簡(19)

これからも祖国で暮らす私たちと共にできる場を

平壌、清津、咸興、元山、沙里院、平安南道など、共和国の各地で暮らす東京朝鮮中高級学校一八期(一九六五~六八年)同級生との手紙のやり取りが始まって六年が過ぎた。「いつか平壌でも同窓会を」との思いを込めてである。

今回は、群馬県在住のリョム・スソトンムと私に届いた年賀状の一部を紹介する。[ ]内は整理者による。(金日宇)

김명숙(キム・ミョンスク)☇렴수소(リョム・スソ)

新年二〇一六年を迎え、新年のあいさつを送ります。

いつも祖国で暮らす私たち同級生のために、熱い友情を示してくれるトンムに感謝です。

新年も可愛い孫に囲まれて幸せに暮らすトンムの姿を思い描きます。私は昨年の八月、遅ればせながら孫が生まれました。孫は可愛いと聞いてはいましたが、本当に可愛い。眼に入れても痛くない、あまりにも可愛くて、孫を抱いていると、心配事も消えます。

いつも私の気持ちを和ませてくれるリョム・スソトンムとシン・ギルントンムに感謝します。

いつまでも健康で、家族の幸せと喜びを願います。

県本部の委員長に新年のあいさつをお伝えください。

二〇一六・一・一

キム・ミョンスク

박민순(パク・ミンスン)☇렴수소

新年おめでとう。家族の幸せを祈ります。

いつも感謝しています。一八期同級生が集まる場をつくってくれて。北関東初中級学校の中級部の一年しか一緒に学ぶことができませんでしたが、忘れることはできません。

これからも祖国で暮らす私たちが共にできる場を作り続けて下さい。

二〇一六・一・一

パク・ミンスン

현명실(ヒョン・ミョンシル)☇김일우(キム・イルウ)

新年をお祝いします。新年二〇一六年を迎えキム・イルウトンムの健康と家族の幸せを祈ります。

二〇一六・一・一

*イルウトンムの長~い手紙楽しみにしています。返事をできずミアナムニダ。これからも日本に残った同級生の様々な消息を伝えて下さい。

ヒョン・ミョンシル記す。

박민순(パク・ミンスン)☇김일우

二〇一六年、新年を熱烈にお祝いします。家族の幸せを祈ります。

一二月一〇日、父パク・ピョンソンに「愛国烈士証」が、共和国最高人民会議常任委員会から授与されました。総連板橋委員長とシン・ギルン校長の尽力に感謝します。

イルウトンム、一一月三日にもオモニに電話をしてくれたのですね。感謝しています。

同級生たちが助けてくれるので、幸せです。

一・一

パク・ミンス記す。

류일(リュ・イル)☇김일우

新年おめでとう。

健康と家族の幸せを祈ります。オモニにも新年のあいさつを伝えてください。

×              ×

何回も手紙をもらいながら、返事をかけずミアナムニダ。

シン・ギルン校長が来るたびに話を聞いています。ここで暮らす同級生のために努力していること、ありがたく思っています。

今度、五〇年ぶりに、同じサッカー部だったリ・グァンサントンムと会いました。久しぶりに会えたので、話したいことがたくさんあると思ったのですが、グァンサンも私も口下手で…、翌日、キム・ヨングァンが来て、ビールを飲みながら、三人で昔話に花を咲かせました。とにかく朝高時代は楽しかった。

日本にいる同級生のみんなは、今までのようにこれからも仲良く過ごしてください。再会できる日まで健康に、文筆活動頑張ってください。

二〇一六年正月元旦

平壌からリュ・イル

조성현(チョ・ソンヒョン) ☇김일우

新年を迎え、オモニとイルウトンムに新年のあいさつを送ります。オモニの健康と、イルウトンムの家族の幸せを祈ります。

二〇一五・一・一

チョ・ソンヒョン

×              ×

引き続き、手紙を送ってくれてコマッスムニダ。毎回、面白く読んでいます。

元気でしたか。オモニは?

二〇一四年に退職して、年労保障生活に入りました。これといってすることもなく、一〇坪ほどの庭で野菜を育て、リンゴの木も七本も植え、その世話で時間をつぶしています。

昨年、私が暮らす咸興地区は干ばつ、井戸も乾き、七月からは梅雨に入り、一一月は一か月雨が降り続き、太陽を拝むことができませんでした。日本はどうですか? 異常気候で農業に支障をきたしています。

昨年七月にシン・ギルン校長を見送り、咸興に戻ってきて、トンムのアボジが再整理した「東京中高草創期一〇年史」を読み返しました。一世が子どもたちに民族の魂を育むために教育にどんなに力を注いだのか、特に、学校の敷地を確保し、カリキュラムを組み、祖国の配慮の下、学校を守るためにどのように戦ってきたのか、新たに知ったことも少なくありませんでした。

私は板橋で生まれ、育ったので尹徳昆先生にお会いする機会も多かったのですが、先生が東京第三と東京中高の設立と発展のためにこんなにも功績が大きかったのは知りませんでした。

「一〇年史」には「農楽」についてふれていましたが、小学入学前だったと思いますが、おじさんたちが「農楽隊」を組織し、同胞の家を周り、旗を掲げ、楽器を打ち鳴らしていました。それが教育の場を確保するための活動だったのです。

このような活動なくして、私たち一八期を前後した、東京中高の全盛期はありえません。今日に至る七〇年間、その根が張り、民族教育の花園を築くことができたと思います。これを守ることは今まで以上に、困難が伴うでしょうが、必ず乗り越えることができると確信します。

それに、「一〇年史」のあとがきに記されていましたけれど、トンムのアボジ、キム・ジョンスン先生が「朝鮮民主主義人民共和国海外公民 金鐘淳」と書いた表札を掲げていたとは、驚くと同時に敬意を表します。

私のオモニは、アボジが亡くなると、八〇歳の時に帰国し、ここで一六年間暮らし、一一年前に亡くなりました。「一〇年史」を読みながら、イルウトンムのオモニのことを思い出しました。オモニ会の役職に就き、しょっちゅう学校に来ていた姿を覚えています。九〇を過ぎたのでは…オモニによろしくお伝えください。

イルウトンム、これからもたくさんの文章を書いてください。みんなと会うとトンムからの手紙が話題になります。

会う機会があれば、イルウトンムのアボジのこと、オモニのこと、もっと聞かせてください。

新年も良い年であることを!!

チョ・ソンヒョン。

문팔치(ムン・パルチ)☇방수미(パン・スミ)、림화강(リム・ファガン)

スミ、フアガン! お元気ですか? 早いもんですね。一〇月[二〇一五年]に総聯イルクン[活動家]代表団の一員として祖国を訪問し、ピョヤンで四八年ぶりの再会をはたし焼肉を食べながら酒を酌み交わし楽しいひと時を過ごしたのが昨日のように思えるのに、別れて早一ヶ月が経ちました。

ピョンヤンホテルで会った時、朝高時代一緒にバスケの部活で汗を流したフアガンは一目見て分かったけど、スミは背が伸び、体が大きくなったせいか残念にもすぐには分からなかった。お互い年をとりましたね。でも若干一七才,二〇才で帰国して、今日までの社会主義祖国における活動話や日本での生活話を話し合う内に四八年間の空白がいっきにちじまり朝高時代の顔に戻ったのには驚きました。

特にスミが雑誌『朝鮮学校のある風景』に寄稿した手紙の中で書いた十条の「大黒屋」での「海老天つまみ食い事件」のエピソードには笑いと同時に何ともいえない懐かしさに浸りましたね。

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また若き最高領導者の指導のもと今日の祖国において目を瞠るばかりの繁栄と発展について熱く語るトンム達の姿に感銘をうけ、老年期に入りはしたが自分も頑張らなきゃいけないなと胆に銘じた次第です。

今回、朝鮮労働党創建七〇周年を祝うなかでの七年ぶりの祖国訪問が「イルクン代表団」の活動内容もしかり、トンム達との再会もあり大変印象深い訪問となりました。

帰国した同窓生との祖国での再会について思うに、帰国した朝高一八期同窓生を探し出し名簿を作り連絡を取りあえるように、始めの井戸を掘った同級生の金成太、慎吉雄、金日宇トンム達に感謝をしつつこれからもこの出会いを大切にしていきたいと思います。

何年後、祖国での「東京朝高一八期同窓会」開催を願いつつペンを置きます。

お互い老年期にはいりました。くれぐれも健康に気をつけて!

二〇一五年年末に

文八智より

出展:朝鮮学校のある風景

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