茨城の常陸「朝鮮人無縁供養塔」等、本山寺、日立平和台の慰霊碑

朝鮮大学記念館の在日資料館室長のキンチョルス先生から『資料集・朝鮮人犠牲者追悼碑(歴史の真実を深く記憶に)』を購入した(3000円)。全国都道府県で犠牲になった強制労働者や関東大震災の犠牲者、慰安婦の人たちを追悼し、建てられた石碑や記念碑を、写真に納め、まとめた本だ。石碑のいきさつ、歴史的背景、現在の状況が、事細かに書かれている石碑を巡る「追悼碑めぐりの旅」のはじまりだ。

資料集・朝鮮人犠牲者追悼碑(歴史の真実を深く記憶に)
『資料集・朝鮮人犠牲者追悼碑(歴史の真実を深く記憶に)』3000円。朝鮮大学記念館内『在日資料館』室長キンチョルス先生から購入できる。
資料集・朝鮮人犠牲者追悼碑(歴史の真実を深く記憶に)
『資料集・朝鮮人犠牲者追悼碑(歴史の真実を深く記憶に)』の中。都道府県別で具体的な資料だ。

茨城の常陸「朝鮮人無縁供養塔」

朝鮮人無縁供養塔
朝鮮人追悼碑がある中山寺に到着。この正面の本堂からすぐ右に『朝鮮人無縁供養塔』があり駐輪場の目の前。さらにはこのお寺の一番良い場所だ。

茨城の『常陸:ひたち』へ、日帰り旅。まず向ったのが茨城の最北端『北茨城インター』からさらに北へ、県境の『中山寺』というお寺へ。ここには『朝鮮人無縁供養塔』というお墓がある。供養塔に到着して見てみると、まだ真新しい照りがある立派な石碑だ。

朝鮮人無縁供養塔
『朝鮮人無縁供養塔』の正面から。すでに誰かが訪れていたようで、花が飾られていました。
朝鮮人無縁供養塔
この追悼碑が出来る前は、無縁供養塔として、ここの住職様のご好意で石碑があったとか。しかしその後『朝鮮人無縁供養塔』を1人の女性が建てたとは、本当に凄いはなしです。

又この石碑について本によると下記の記述がある。

北茨城市在住の金光子氏が金家の檀家である中山寺に寂れた無縁仏があるのを発見し、先代の住職に理由を聞いたところ、北茨城市関本町に連れられた朝鮮人炭鉱労働者が、戦中、戦後に無念の死を遂げたことを聞く。またその労働者のために住職が善意で建てられ、そして無縁仏だという事を知る。しかし、あまりにも寂れ、寺の隅にひっそりとある無縁仏を見た金光子さんは、この地に犠牲になった同胞の供養のために私財を投じ、2001年3月に寺の正面に新しく『朝鮮人無縁供養塔』を建立した。

手を合わせ拝んだあと次の目的地へと向かった。

茨城県・本山寺の「朝鮮人殉難病没者諸精霊」

本山寺
本山寺
本山寺の注意書き
本山寺の入口の注意書き

次の場所は茨城県の中部『本山寺』。山道を登り、山の中腹まで着くとお寺はある。
入口の左に本堂があったが声をかけても返事はない。そのまま1人で山道を登って行き5分ほど登ると、2塔のお墓のような石碑が、たたずんでいた。

本山寺にある『朝鮮人殉難病没者諸精霊』の碑
本山寺にある『朝鮮人殉難病没者諸精霊』の碑。奥は中国人の物で2塔が供養されていました。

手前が『朝鮮人殉難病没者諸精霊』の碑で、もうひとつが『中国人殉難病没者諸精霊』の碑。こんな山奥に…。本には次のような解説がある。

1954年頃、当時李徳全女史を団長とする中国紅十字会代表団(中国赤十字)が日立鉱山で犠牲になった同胞がいるとの情報を得て、現地に訪問する際、当の日立鉱山事務所では中国人犠牲者の慰霊塔もない状況で、同代表を受け入れられず『中国人殉難病没者諸精霊』を建立した。碑は日立鉱山で犠牲になった人たちを茶毘にするため作られた火葬所である本山寺の近くに建てられた。その際その隣に、中国人より多く連れられ、犠牲となり亡くなった朝鮮人に対しては、供養塔を、おまけのように建てられた。

『朝鮮人殉難病没者諸精霊』の碑
『朝鮮人殉難病没者諸精霊』の碑
供養塔に掛けた卒塔婆
御彼岸か何かで、供養塔に掛けた『卒塔婆:そとうば(供養のために用いるお墓の後ろに立てる細長い板)』が、地蔵様の後ろに掛けてありました。誰かこちらに供養で来たのでしょう。

日立平和台霊園の「茨城縣朝鮮人納骨塔」

日立平和台霊園
『日立平和台霊園』に着きました。ここの一番高く良い場所に『茨城縣朝鮮人納骨塔』があります。

次に向ったのが少し南にある『日立平和台霊園』。ここは常陸の町の中で、多くの方々の墓があることで有名。管理案内場があり場所を聞くと案内していただいた。説明によると毎年、茨城朝鮮学校の生徒がお参りにも来てくれるという。

茨城縣朝鮮人納骨塔
『茨城縣朝鮮人納骨塔』の石碑。高さ2m40もある大きな石碑です。ここにもすでに誰かが花を添えていました。
『茨城縣朝鮮人納骨塔』の協賛者の名前です。
茨城縣朝鮮人納骨塔
『茨城縣朝鮮人納骨塔』の納骨堂。この高さは2m10cmもあり、横1m82cm、奥行き1m51cmにもなる大きな石の納骨堂となっている。保管されている御骨は54柱。そのうち名前が分るものが24柱、無縁が24柱、その他が6柱。

供養碑の名前は『茨城縣朝鮮人納骨塔』。大きな石碑と、納骨塔、そして下記説明文なども見ることができる。

左の付属碑文(正面)

위령탑은 이바라기현에 거주하는 조선동포들의 애국지성을 모아 1979년7월24일에 건립하였다.
이 탑에 안치되여있는 유골은 나라를 빼앗기고 부모처자들과도 강제로 작별하고 이국땅에 끌려와 성과 이름도 빼앗겨울하게 희생된 유골들이다.
이 유골들엔 찾아가야 할 조국과 고향이 있고 그들이 돌아올것을 일일천추로 기다리는 부모형제들과 처자들이 있다.
조국이 해방되고 노예살이 끝장난지 근반세기가 되려는데 객지 고혼된이 유골들은 오늘도 누렇게 변색한 보자기에 싸여 씻을길 없는 원한을 호소하고있다.
그들이 울부짓는 한 많은 웨침소리는 듣는 사람들의 구곡간장을 녹이는구나!
아 그들의 소원대로 그들에게 조국땅 밟게 하고 고향산천 찾게 하는날은 과연언제인가!그날은 멀지 않아 반드시 올것이다.
객지고혼된 겨례들이여 고이 고이 잠드시라 !
1990년 8월

(日本語訳文)
この慰霊塔は茨城県に居住する朝鮮同胞たちの愛族至誠を集めて一九七九七月二十四日に建立した。
この塔に安置された遺骨は国と故郷そして家を奪われ、父母や妻子たちと強制的に引き離されて異国の地へ連行され、姓名を奪われ、犠牲になった遺骨である。
この遺骨には取り戻すべき祖国と故郷があり、彼らが戻ってくることを一日千秋の思いで待っている父母兄弟や妻子たちが居る。
祖国が解放されて奴隷暮らしが終わり、ほぼ半世紀が経つのに、他国で孤独な霊魂となったこの遺骨たちは今も変色し、黄ばんだ風呂敷に包まれ、濯がれる事のない怨恨を訴え続けている彼らの深大な恨は、耳を澄ますと、腹の奥底からの哀哭となって聞こえてくる!
嗚呼、彼らの所願がかない祖国の地を踏み故郷の山河を訪ねる日が果たして来るだろうか!
その日は遠くなく必ず来る。
他国で孤独な霊魂となった同胞たちよ!
安らかに安らかにお眠り下さい。

右の付属碑文(正面)

建碑の由来
茨城県に住む在日同胞の多くは戦前、日本の植民地支配によって強制、半強制的に連行された者、当時故郷での生活苦に耐え切れず玄海灘を渡った者とその子孫である。
県内に最初に『労務動員計画』によって朝鮮人労働者の強制連行を実施したのは羽田精機竜ヶ崎工場であり、次いで日立鉱山、海軍西筑波飛行場(神崎組、鴻池組)、常磐南部炭田、日立製作所水戸工場、日本通運土浦支店等がある。
最も多く同胞が連れてこられた日立鉱山では、過酷な労働条件の下、事故や虐待、過労等で多数の尊い命が失われ、懐かしい父母兄弟や、愛する妻子との再会も虚しく、異国の土と化し、その遺骨すら無縁仏のまま捨て置かれた。
このことに義憤を覚えた在日一世達が中心になって一九七九年七月、恨みを抱いて非業の死を遂げた同胞たちを哀悼するため、この茨城県朝鮮人納骨塔を建立した。
それから二十七年間の歳月が流れ、風雪等で傷みがひどくなった状況を鑑み、在日二世、三世の同胞たちが先人の意志を継いで力を合わせ、ここに慰霊塔として修復・整備を行った。
私たちは二度と不幸な歴史を繰り返さないこと、歴史の事実を風化させないことを深く胸に刻み、平和な時代を築いていく決意を新たに受難の歴史を後世に永く語り継いでいくだろう。
ニ〇〇六年十月六日秋夕
茨城県朝鮮人慰霊塔管理委員会

(ハングル訳文)
이바기현에 사는 재일동포들은 거의가 전쟁이 시작되기 전에 일본 식민지가 되서 강제로 혹은 반강제로 련행되온 사람들이며 고향에서 가난한 생활을 견디다 못해 현해탄을 건너온 사람들과 그 자손들이다.
현에서 낸 『로무동원계획 』에 따라 처음으로 조선인로동자들을 강제로 련행한 기업은 하네다정기 류우가사끼공장이며 다음은 히따찌광산,해군 니시쯔꾸바비행장(간자끼구미,고노이께구미),죠오반남부탄전,히따찌제작소 미또공장,니혼쯔은 쯔찌우라지점 등이다. 동포들이 가장 많이 련행당한 히따찌광산에서 우리 로동자들은 가혹한로동조건 아래서, 일어난 사고 가해진 학대,과로등으로 하나밖에 없는 귀중한 목숨을 빼앗겼으며 그리운 부모나 처자들을 만나지 못한채 이국의 흙이 되여,유골마저 무연불(인연인있는 일가친척들이 없는 유골)로 버림받아 왔다.
이런 상황에서 위분을 못이긴 재일1세들이 일떠서 1979년7월원한을 안은채 무참이 죽어간 동포들을 애도하기 위하여 이바라기현조선인납골탑을 세웠다.
그때로부터 이언 27년이란 오랜 세월이 흘러 탑은 풍설 피해를 많이 입어 헐어빠졌다.
이에 가슴을 아프게 한 재일 2,3세 동포들이 선인들 의사들 이어받아 힘을 합쳐 새롭게 위렬탑으로 수선하고 정비했다. 우리들은 두번 불행한 력사를 되풀이시키지 않겠다는 뜻과 력사의 엄연한 사실을 퐁화시키지 않겠다는 뜻을 가슴에 새겨 평화로운 시대를 만들어나갈 결의를 새롭게 다지며 수난의 력사를 후세들에게 영원토록 전하련다.
2006년10월 이바라기현조선인위령탑 관리위원회

(裏面)

慰霊塔修復工事協賛者名簿記す
建設委員 徐錫虁 李三圭 李享植 朴友馥 呂且道 李潤永

【解説】
1945年、朝鮮解放までの約8年間で犠牲になった朝鮮人強制連行労働者は、県内で数百人といわれ、そのほとんどが無縁仏である。当時の実態を知る1世同胞たちは、あの屈辱を記録にとどめ、無残にも犠牲になった労働者の散り散りになっている遺骨、無縁仏を弔うため慰霊塔建設に乗り出した。碑は県内の同胞たちに募金を募り、慰霊塔に使う石材を祖国から取り寄せ、1979年に煮立ち平和台霊園の、一番見晴らしのよい場所に建立した。

陸常の旅の地図
赤星…出発&ゴール点
青星…北茨城市にある中山寺
緑星…本山寺
ピンク星…日立平和台霊園
紫星…おすすめ飲食店『ウッディ』

引用元鉄馬を馴らしⅠ【常陸は悲しみの果てに】